(「制作は毎日しないと手が鈍る」と、ろくろを回す山本さん)
「女性の陶芸家、しかも国際的に展示・出品されている方が、太田市にいる」
――そんな噂を聞きつけ、すぐさまアポを取らせていただいたのが、陶芸家・山本順子さん。ホームページ上で見る作品はどれもきらびやかな美しさではなく、潔く流れるような、それでいてどこか繊細な、独特の美しさがあります。今回、そんな作品の数々が生み出される山本さんのご自宅兼アトリエにお邪魔し、お話を伺ってきました。
とにかく“ものづくり”が好きだった子ども時代
陶芸家でありながら、二児の母でもある山本さん。お子さんたちを慌ただしく送りだした後のアトリエに快く招き入れてくださり、すてきなカップでコーヒーを入れてくださいました。一歩入るとそこは、海外の映画やアートブックに出てきそうな、職人の部屋。雑多に配置されているすべてのものが静かにそこに息づいて、楽しく山本さんを囲んでいました。
(心地よい音楽とともに心地よい時間が流れる、山本さんのアトリエ)
福井県で生まれ、東京で育った山本さん。幼少の頃から工作が得意で、高校進学時にはすでに美術の道に進むことを決めていました。「その頃はまだ、“陶芸”という具体的なジャンルは頭にありませんでした。予備校に通いながら、自分の足で都内の美術館や展覧会、片っ端から回ってみたんです。そのなかで、“陶芸”に何かを感じる自分がいることに気付きました」
そして、高校卒業後は陶芸の専門学校に通い、その後横浜にある陶器制作会社に就職。順調に自分の道を切り開いていきましたが、長年勤めていくうちに違和感を覚えはじめました。「会社に勤めていると、その枠のなかでしか自分の力量を発揮できない。このままでは自分が潰されて、自分のスタイルがなくなっていく……と感じたんです」
そして、陶器制作会社を退職。陶芸教室の講師などのバイトをしながら資金を貯めて、イタリア・フィレンツェに旅立ったのです。
人として、芸術家としてのマインドが確立したイタリア時代
イタリア・フィレンツェでは、語学と陶芸を同時に学ぶ日々。そんななか、たくさんの友人ができました。「アモーレ(愛する)・マンジャーレ(食べる)・カンターレ(歌う)……この3つが、イタリア人の基礎となっている部分。逆に、これらが欠けた生活なんて人生じゃない!っていうくらい、たいせつにするんですね。だからみんなウソみたいに、自分のことを愛しているし、自分の家族や身内のことを尊重する。人生を心から楽しんで、自分を尊重しているからこそ、他人を楽しませることも尊重することもできるんだな、って。」
(アトリエのいたるところに海外で撮影した写真が。)
イタリアで心が解放された山本さんは、「インプットの旅」と称してその後も世界各地の美術館や史跡をめぐり、「美術とは何か?」の答えを探したそうです。「今も旅の途中なんですけどね」と、山本さんは笑いました。
(後編に続く……)