太田市の藪塚(やぶつか)温泉郷からほど近い場所にある、『藪塚石切り場』をご存知でしょうか?かつては350人ほどの労働者がいたという、藪塚石切り場。昭和30年頃に閉山となり、現在では男の子に大人気の特撮ヒーローの撮影場所として使われることも。意外と知られていないパワースポット『藪塚石切り場』の魅力を、存分にご紹介します!
看板を見つけたら、いざ出発!気分はまさに探検家
この看板が、神殿への入り口。案内板があるので迷うことはありませんが、落ち葉で滑ったり、ところどころ穴があいていたりするので、足元にはじゅうぶん気をつけてくださいね。
荒れ果てた道を突き進んでいる感じが、好奇心を刺激されます。
圧巻!眼前に広がる石の異空間…!
10分ほど山道を進むと、目の前に突如として異空間が広がります。
思わず「おぉ~っ」と声を出しながら見上げてしまう、垂直に切り立った30メートルの石壁。ひんやりと澄んだ空気も、気のせいではないはず。迫力のある光景に圧倒されます。
こんな石のトンネルも、そそられますね……!
上から見下ろしても見応えがありますよ!
この非日常的な空間を求めて、映画や特撮ヒーローの撮影が行われたというのも納得です。
かつての産業としての藪塚石切り場とは?
こちらの藪塚石は、火山活動によって堆積された軽石凝灰岩で、安価であり加工しやすく熱にも強かったため、カマド用として使われていました。明治時代から採掘が盛んになり、最盛期を迎えた大正時代には350人もの労働者がいたそうです。しかし水に弱く、中に小石があるなどの欠点から、お隣栃木県の大谷石に人気を奪われ、昭和30年頃に閉山となりました。
新田氏ゆかりの藪塚の地
太田市藪塚町、かつては藪塚村と呼ばれていました。そして「藪塚」という地名の由来ですが、こんな一説が。藪塚石の採掘が最盛期を迎えた頃、販路確保のために東武鉄道桐生線の敷設工事が行われました。その際に五輪塔が4基出土し、郷土史家の考証により鎌倉時代のものであること、また新田氏一族の藪塚六郎と、その子どもと孫の三代の墓ではないかとされました。そのため、この五輪塔を「伝藪塚氏の墓」と呼ぶようになり、周辺地域を「藪塚」としたといわれています。実際に藪塚氏が葬られたか否かについては推測の域を出ませんが、こういった時代背景を思い浮かべながら散策するのも感慨深いですね。
石切り場だけじゃない!周辺施設も楽しめます
藪塚石切り場周辺には
・横穴式円墳の【北山古墳】
・江戸時代の木枯らし紋次郎のふるさとを再現した【三日月村】
・ヘビとのふれあいもできる【ジャパンスネークセンター】
などもあります。
ひと通り楽しんだあとは、藪塚温泉郷の日帰り入浴で身体を癒し、藪塚名産の小玉スイカ(収穫時期は3月~7月頃)をお土産に……というのもすてきですね。
(ライター:後藤真澄)
藪塚石切り場
住所 群馬県太田市藪塚町
※なお、2017年6月時点で石切場は改修中となっております。もしお立ち入りの際は、危険がありますので自己責任とご理解ください。また、お立ち寄りの際は、管理者様であります、ホテルふせじま様へご一報をお願いいたします。